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さびしさについて

 アトリエ兼住居に越してきて、1か月。

がらんとしたひろい家、外に出なくても成り立つ生活、とても寂しい。

フェイスブックに依存してしまう。アクセスすると、みんなに出会えるから。
電車に乗るとみてしまうし、そうでないときは寝てしまう。
家にいて食事の時なんかはテレビがついていないと落ち着かない。
楽だけど、自分にはダメなんだ。
そこに依存すると負のスパイラルにはまる。

ゲームばっかりしている子供を見ると、
馬鹿になるよ、と思うのだが大人も、日本の社会も例外でない。
自分もそこにはまりかけていた。

きちんと自分の目で見て考える時間が、なさすぎるのだと思う。
インプットもしていないから、アウトプットもできない。
家で流れる情報を目で追ってゆくだけでは、なにも生産されないンだ、と思う。

寂しいのは、単に隣に人がいないということだけではなく
きっと停滞する自分のことばかりみつめているからだ、と気づいた。

外部からの刺激を受けたり、自分が何かしたいという欲求がわかないから、
表面的な人恋しさに逃げてしまうんだと思う。

何かしら、感覚を研ぎ澄ますような、常に流動的な思考になるべきで、

それは極めて普通の例だけれど本を読むことだけでも変わるかもしれない。
ヒトの思考に刺激されているときは、きっと寂しさなんて忘れてしまう。

そもそも作品におけるコミュニケーションとは、そういうことだと思う。
見ていると、脳や感覚をかき回されるもの。
そうでないものは、作品でなく置物なのだ、
置物がいくらあってもさびしいかもしれないが、作品が沢山あったら面白いかも。

「俺が俺が」ってゆうアーティストには無用なことかもしれないけれど、
自分みたいにコツコツ古典的なことをやっているタイプには大事なことだと思う。
金銭的なこともあるのでしょうが、社会から孤立していくさみしさは、
作家をあきらめる理由の一つに違いない。

とにかく制作しなきゃ、アウトプットばかりに躍起になっていたけれど
インプットを見直す必要があるな、と気づいたのでありました。


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