2017/08

<< August 2017 | 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>


LATEST ENTRIES

 

ARCHIVES

RECENT COMMENT

いままでのお客様
ブログパーツUL5

観に行きましょ〜〜♪

 

LINKS

 

ADMIN

 

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

 

  • -
  • スポンサードリンク
  • -
  • -
  • pookmark


めも

 美しいということについて、考えていること

1 男性は、面食い。見た目で好きになる人は多い。つきつめて考えると、それは好きな女性→彼女→妻→自分の遺伝子を残す相手、ということであり、つまり自分の遺伝子に一番重要なのは見た目のうつくしさである、ということともいえる。頭が良いとか、経済力があるとかいうこと以上に、美しさによって惚れるとするならば、どれだけ種の存続に美しさは重要なのだろう?不思議な気もするし、なぜ?

2 日本人は、若いほうがよいと考える民族である。たしかに、肌のつやがあるとか、そういう点では若いことは美しいかもしれない。しかし、ほかの国ではそうでもないようである。AKBなどのオタク文化は今や国民的に肯定され、ロリータは一般にも普及している。それはなぜなのか。表面的な美しさしか見ていないということなのだろうか。性的な趣味の問題だけなのだろうか。

3 お手本どおりにやることが、美しいということなのか?美術は「うまくやるもの」であり、そうではない作品は「下手」か「理解できない」になる。それは美術の授業で叩き込まれたのではない、それ以前に、幼少の時に母親に「うまくできたね」「できてないじゃない」と判断されてきたからなのでは、と思う。反発すると「生意気」といわれることもあったかもしれない。大概のことはそれでよいのかもしれないが、少なくとも美術はそれが当てはまらないのに、おんなじに考える。
つまり、みんなと同じ方向を向くことが、美しいということなのだろうか?

4 自分は職業柄、美しさとは何か日々考えている。そうすると、生活すべてはじぶんの「美しいかどうか」という判断で成り立っていることを実感する。他の人はどうなのだろう?どの程度、「美しさ」を意識して生活しているのだろうか。


ベーコン展@近美


1、喘息持ちである
2、彫刻感覚で絵を描いている
3、インテリア好き
4、子供の時プロテスタントの教会に通っていたこともあるが無神論者

・・・とは、まるで自分のことかと思うのだけれど、これは図録に書いてあったフランシス・ベーコンの特徴である。

まさにベーコンは自分がばくぜんと彫刻でやりたいと思っていた感覚に、男性性を加えて完成度をぐんと上げ、センス良くしたような印象だった。
久しぶりに、近代以降の美術を見て感激をした。


とにかく、この作家は、実物を見ないとわからない。

写真で見る限りでは、溶けた人体のような表現は、なんだか現代的で、みんなやってるしなー、ありがちなパターンの先駆的な立場なのかな、くらいにしか思っていなかった。

ところが、本物は違った。

なんて骨太な作品!
これは、上っ面な取り組みでは決して描けない絵。
めちゃくちゃ画力があるし、やろうとしていることが面白い。

理屈でどうこうとは言えないのだけれど、これは確かに良い絵だと確信した。
また一人、よい作家を知ることができてよかった。


台所に、花を飾った
一人で暮らすことのさみしさ。
自分一人の空間には花が一輪いるだけで、生命感をとても感じる。場の空気が変わるような気がする。

ユリが落ちるとき、おしべだけ残して他はハラリ、ぐしゃりと落ちることを知った。
一つの花だけ死体のようにバラバラになっている
他のは相変わらずに澄まして上を向く、まるでしらんぷり。
なんだか残酷に、それでいてとても美しいと思った
耽美ということでしょうか

花によって

おしまいの形は違うのでしょうか

花の命は短い。
終わりが見たくなった。これをいつか作品に生かしたいとおもう。なるべく客観的に、それがきっと美しい。

花を、日々絶やさないようにしよう。



さびしさについて

 アトリエ兼住居に越してきて、1か月。

がらんとしたひろい家、外に出なくても成り立つ生活、とても寂しい。

フェイスブックに依存してしまう。アクセスすると、みんなに出会えるから。
電車に乗るとみてしまうし、そうでないときは寝てしまう。
家にいて食事の時なんかはテレビがついていないと落ち着かない。
楽だけど、自分にはダメなんだ。
そこに依存すると負のスパイラルにはまる。

ゲームばっかりしている子供を見ると、
馬鹿になるよ、と思うのだが大人も、日本の社会も例外でない。
自分もそこにはまりかけていた。

きちんと自分の目で見て考える時間が、なさすぎるのだと思う。
インプットもしていないから、アウトプットもできない。
家で流れる情報を目で追ってゆくだけでは、なにも生産されないンだ、と思う。

寂しいのは、単に隣に人がいないということだけではなく
きっと停滞する自分のことばかりみつめているからだ、と気づいた。

外部からの刺激を受けたり、自分が何かしたいという欲求がわかないから、
表面的な人恋しさに逃げてしまうんだと思う。

何かしら、感覚を研ぎ澄ますような、常に流動的な思考になるべきで、

それは極めて普通の例だけれど本を読むことだけでも変わるかもしれない。
ヒトの思考に刺激されているときは、きっと寂しさなんて忘れてしまう。

そもそも作品におけるコミュニケーションとは、そういうことだと思う。
見ていると、脳や感覚をかき回されるもの。
そうでないものは、作品でなく置物なのだ、
置物がいくらあってもさびしいかもしれないが、作品が沢山あったら面白いかも。

「俺が俺が」ってゆうアーティストには無用なことかもしれないけれど、
自分みたいにコツコツ古典的なことをやっているタイプには大事なことだと思う。
金銭的なこともあるのでしょうが、社会から孤立していくさみしさは、
作家をあきらめる理由の一つに違いない。

とにかく制作しなきゃ、アウトプットばかりに躍起になっていたけれど
インプットを見直す必要があるな、と気づいたのでありました。


no title

「ソロモン流」も面白かった。
家具職人松岡氏に共感、
円空は作為がないけれど木に勝っているという。

作為を無くす。

そうです、大事はそれなのです。
現代美術の真逆だ。


日曜美術館

石巻の彫刻家、高橋英吉の特集で泣けた。
こういうひとが、彫刻家なのだろう。
出征していく船のうえで、自作の彫刻刀で彫った、樽木に刻まれた仏様、遺作。
どんな思いで彫ったのかと思う。たましいが籠っているのでしょう、見てみたい。
文展に入選したという少女像は、すこし平八っぽいという印象だけれども、小さいながらも大きく見える。
作品の持つ力強さは、彫刻にたいする気持ちの強さだと思った。

身体が滅びても作品が残っていることのありがたさ。みる人が、有難いと思える作品。素晴らしいと思いました。


ふるいもの

 鎌倉で、ぶらぶらしていた時に骨董のお皿屋さんに入った。

1枚1000円の明治時代の小皿の一つが、少し欠けているということで、300円になっていたので購入。

家でほかの皿と一緒に使用すると、、、全然凄味が違う!
ただのなんてことない皿なんだけれど、他の皿がチープににせものに見える。

かっこいい。
古いものは、やはり丁寧に作られているように思う。

最近不動産屋で古い家をよく見まわっているのだが、古すぎて気持ち悪い場合もある。

古いものの凄味と気持ち悪さは紙一重だ。

作品もそうかもしれないし、アンティーク好きのツボはそこなのかもしれないな。
少なくとも、自分はそれが好き。


初座禅は

 日曜日に、鎌倉の寺に座禅に行った。
自分はちっともやりたくなかったのだが、鎌倉は一度行ってみたかったし、友達の付き合いでもない限り一生やらないのではと思って。
正座はもたないので、これも10分くらいが限界なのではと思っていた。

ところが、である。

今回は1時間法話をうかがったのちの、1時間の体験だったのだが、何時間でもできると思った。
確かに寒かった。ダウンは脱いだ。ただその寺は畳敷きで座布団可だったおかげもある。

けれど、それだけではない。自分は悟った。
心を無にする、というのが石を彫っているときのそれと同じではないか!

微動だにしない、というのはきっと背中がかゆくなったりしてきつかろうと思ったのだけれど、石を彫っているときに、気にならないのと同じ。膝をつきすぎて、あとで見たら青あざになっているのも、制作中に気が付かないのと同じ。

覚醒はしているけれども、魂が抜けている、眠りというよりは、死に近い感じ。

そんなわけで、自分は、制作をすることで、座禅と同じ境地にゆけることを、自覚したのであった。笑


ながれるもの

 やはり、言葉にしないとダメだな、と思いました。
いろいろなものが、流れて行ってしまう気がして。
ぶろぐは、ちょうどよいのです。

今日は生まれて初めて火球を見ました。
飛行機かと思ったけれど、その割には早いしやたら下向きにおちていくようでした。
飛行機雲のような、尾ひれを残していました。
とてもまぶしくて、白、青、赤、、色を変化させて。
やがて、20秒くらいで、消滅してしまいました。

とっさに、お願い事をしました。

隕石が、地球に落ちてきて、大変なことになったらと不安に思いながら、
自分の欲にまみれた願い事を。

千葉の空は、星だらけだったのに、
東京に来たら、なんにもみえない。
ほんとうに、空気が汚れているのかもしれないな、と
さっきの出来事を、夢のように思いました。

なんだか、不吉な気分。


改めてのパラリンピック

いまNHK見てしったのだけれど、
開会式にマーク・クインの奇形彫刻が!!

日本じゃ難しいだろうなあ。。
改めてさすがイギリス。

でもパラリンピックを見てからこの作品を見ると、
今までの印象とは違って非常に自然に受けいれられる気がします。



(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved. 
designed by ホームページ制作 Tip3's │無料WEB素材 --Design-Warehouse--